基本的にエンタメ以外を不特定多数向けに紹介しようと思わないんですが、この本だけはどうしても読んでみて欲しいので紹介します。
この本を通じて得た感覚が今の私が物事を考えるベースになっていて、人生の一部になった本と言えるんじゃないかと思います。
西洋リベラルの思想はネット記事などで入ってくる程度の認知しかできていないので本質や実態は捉えられていないのですが、バズって日本に届くようなものはどれも白人至上主義の反動に見えて、過剰な自己批判で非難の矛先を逸らしているように感じていたのですが、この本では西洋の知性に触れたように感じました。

私が本から得た感覚を伝えるのが目的のため、本の内容は要所要所のピックアップになりますので、もし時間があればご自身で全文読んで中身が自分に響くか判断してほしいです。
因みに本の著者はガチガチのアカデミア研究者で「何が意味があるかはきちんとデータで判断しろ、データは正しく測定されたものじゃなければ意味がない、遺伝子という大事なデータを差別になりそうだからと無視していたら社会を語ることはできないだろ」というスタンスなので、こういった思考方法に共感できる人はより興味深く読めると思います。

この本の趣旨は、遺伝子という角度から世の中を見た時に「平等は幻想である」という世界観が得られることにあるのですが、それは端的にいうと格差についての考察であり、現在の格差を発生させる基準となっているのが知能・それを獲得するための教育であるため、教育の話がベースとなって論理が展開されます。
私はこの本を、現代リベラル思想やメリトクラシー批判を理解するための補助線としても読めると思っています。
「平等は幻想である」という世界観は今では揶揄でしか使われないWokeと呼ばれる思想の源流であり、例えば以下の記事にあるような思想になぜ西洋エリートはたどり着いたのかを知るヒントにもなると思います。


この記事のような主張は成功者からは偽善だとけなされ、中間層には自分たちを無視しているとののしられ、ボトム層からさえも理想主義者の自己陶酔と攻撃されるのですが、この思想の実践でしか人類が幸せになる方法はないのではないかという結論に至りました。

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遺伝学的に教育を考えるにあたって、ポリジェニックスコアという耳馴染みのない言葉が出てきますので、本の中でも説明はありますが遺伝や統計に馴染みがないととっつきにくいとかと思い、ここで簡単に解説してみます。

ポリジェニックスコアとは、界隈で話題の漫画ダーウィン事変でも登場したことで個人的にも熱いワードなんですが、その中身は「膨大な遺伝子解析によって導かれる特定の能力の遺伝子レベルのポテンシャルの高さを数値化したもの」です。
そして本で述べられている教育ポリジェニックスコアとは、大学を卒業する能力を持っているかを基準にした、遺伝子レベルの知能のポテンシャルの高さになります。
なぜ大学を卒業する能力が遺伝的な知能の基準として用いられたのかというと、アメリカでは大卒かどうかがその後の格差をかなり反映しているからになります。

知能を形成する要素は複雑でありどの遺伝子がいいと指摘することは難しいですが、「この遺伝子の組み合わせは大学を卒業する可能性が他の組み合わせより高い」という結果で判断することはできます。
各遺伝子の役割は物事を達成した時に得られるドーパミンが分解される速度やニューロン同士の結合のしやすさに関わる遺伝子など無数のそれのみでは何が起こるかよくわからない遺伝子群であり「これらが一つ違うとどれくらい頭が良くなるか」を膨大なデータもとにを解析することで数値化すると、あなたがどれくらい頭が良くなる遺伝子を持っているかがポリジェニックスコアとして算出されます。要するに、単一の“頭の良さ遺伝子”があるわけではなく、多数の小さな差の集積を見る指標です。
これについては一つ一つの遺伝子の足し算でスコアが算出されるのではなく優秀な人の遺伝子パターンにどれくらい似ているかがスコア化されると捉えた方が実態に合っていると個人的に思います。
身長のポリジェニックスコアが高いとは、身長が高い人と同じような遺伝子パターンを持っているという意味であり、それが低いとは身長が高い人と遺伝子のパターンが似ていないという意味になります。

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このポリジェニックスコアは長い間触れてはいけないものとして扱われてきました。
その原因は壊滅的な人権侵害をもたらした優生学という思想にあります。
そもそも優生学は言葉の響きが何か学問であるかのように勘違いさせるのが問題です。
その実態は科学的な検証の形式だけを真似して自分たちに都合の良い結論を導き、敵対する民族やマイノリティを不当に扱う理由にこじつけたもので、学問ではなく思想と呼ぶのが正しいです。
「天然由来だから体にいい」
「血液型B型だから自己中心的」
「Wi-Fiは体に悪い」
と同レベルの話なのです。

つまり、遺伝子によって有利不利があることを肯定することは、優生学を肯定することではありません。遺伝学は差異を測定する方法であり、優生学はその差異に価値の序列を与えて人を扱う思想です。しかし、遺伝的に優劣が存在すると論じること自体が「遺伝的に劣っている存在が可視化されてしまい、彼らへの差別が正当化される」との恐れからパンドラの箱として扱われてきました。

筆者はこの本を通じて、遺伝学が正当に扱われてこなかったことによる弊害に目を向け、遺伝学というパンドラの箱の底にある希望が人類には必要であると論じます。

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この本の個人的な見どころとして、遺伝学に対する誤解を解き優生学とは別物であることを説明するために、遺伝子が人生に影響を与えるというデータごとに優生学に対する警告が付加されています。過去に優生学を使って黒人やマイノリティを迫害してきた経緯があるアメリカでこの話をするのは本当に困難なことが偲ばれて興味深いです。

まず筆者は、人種差別は倫理的に禁止されているが人種的な優劣は存在すると考えている人たち、過去の優生学を今でも信じている人たちに呼びかけます。
そもそも過去の優生学で根拠とされている試験は科学的に正しい方法でなされていませんでした。利益相反なんていう言葉もない時代のため、自分たちの組織が利する結果を捏造したものも多く、捏造されたもの以外についても、教育的なバックグラウンドを考慮しない知能テストなど、黒人やネイティブアメリカンが知能的に劣っていることを示す試験には不備があります。
もう少し科学的な視点で現代的に優生学を支持する人は、先に述べたポリジェニックスコアで黒人が白人に劣っていたことを引き合いに出します。しかし思い出して欲しいのは「ポリジェニックスコアとは優秀な人の遺伝子パターンとどれくらい各人の遺伝子がどれくらい似ているか」という数値だったことです。そしてポリジェニックスコアの決定的な問題は、それを算出するもとになった優秀な人たちの集団が白人に偏っていることです。
つまり、優秀な白人の遺伝子と黒人の遺伝子を比べて似ているところが少ないから、黒人は白人より劣っているという結論を出しているのです。しかし当たり前なのですが、白人と黒人が遺伝的に違っているのは肌の色を黒くする色素を作る遺伝子だけではありません。教育ポリジェニックスコアで黒人を評価するには黒人の遺伝子で優秀なパターンを探索しないといけませんし、そもそもアフリカンのDNAは白人よりも多様性が大きいので単一集団として扱うと誤差が大きく、さらに混血などの要素が入ってくると手に負えないレベルの複雑さになります。
まとめると、遺伝学として真剣に遺伝子による能力の差異を論じたいのであれば、実験が適切に行われたかを精査しなくては行けません。そして、優生学の支持者が真実と思い込んでいる情報はイデオロギーのために偏って切り取られたものがほとんどであり、そこから導かれる結論は一度捨てる必要があるということです。

次に、優生学を否定したいがために人生における遺伝的な要素まで否定するリベラルにも反論を行います。
人には生まれながらに違いがあるにも関わらず、それが無いように振る舞うことは必ずしも倫理的に良いこととは限りません。特に教育学において、優秀な子どもに必要な教育と理解が遅い子どもに必要な教育は異なっているはずです。しかし、遺伝的な差異を無視してしまうと能力の差は本人のやる気とか努力不足として解釈されてしまいます。一人一人の特質を理解し、適切な教育を受けることによるオーダーメイドの人間開発を進めたいのであれば、遺伝学を無視することはできないはずです。そしてこのようなオーダーメイド教育は、一人一人が平等に自分の能力を最大化する機会を与えられるという意味で、リベラル的な意義そのものと言えます。
また遺伝学を適切に解釈せず無視する行為は、遺伝学が差別主義にいいように切り取られて利用されることを許容することになります。彼らの主張が曲がりなりにも科学に立脚しているように見えるのに対して、生まれには努力で埋められないほどの優劣が存在しないという主張は実感と乖離していると受け止められるでしょう。そうなると、リベラルの発言全てが綺麗事で塗り固められた嘘だと認識される恐れすらあります。遺伝学を差別の道具にさせないためには、きちんと遺伝学に向き合う必要があるのです。

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きちんと向き合うことは不都合な現実から目をそらさないことでもあります。
本の中で紹介されますが「その人が犯罪行為を行うか」には遺伝子が関係しています。「その人がホームレスになるか」も遺伝子の差が可能性の差として立ち現れてきます。もちろん、これは遺伝子が犯罪や貧困を決定するという意味ではなく、確率に影響する要素の一つとして現れるという意味です。
この事実に対して、遺伝子のことを考えず当人の自己責任であるとする立場はとても簡単です。犯罪者やホームレスは悪人や怠惰な人間であり、普通の人がしている努力をしなかった報いを受けていると理解しているうちは心が痛みません。
しかし、遺伝子が影響を与えていること、その遺伝子が当人に全く何の責任もなく生まれながらに持たされていることを認めると「自分が家に住んでいて彼がホームレスであることが公平と言えるのか」と、公平さを重んじる現代人は心を悩ませることになります。

これに対する一般的な回答は「仕方がない」というものです。全員が違う人間なのだから、いちいち全員が平等に扱われないことに対応することはできない、恵まれなかった人は恵まれなかったなりに生きるしかないし、生まれによらず公平を実現しようとする考え方は逆差別を推進するディストピアだ、という主張には説得力があります。

この本は「偶然の結果による損得は再分配によって是正されることを人は好む」という心理学の実験から得られた結果を基にこの主張に反論するのですが、先に書いたように、遺伝子が人生に影響を与えるということを認めてもらうために、またそれが優生学的でなく差別に結びつかないように受け止められることに紙面の大部分を割かざるを得なかったため、個人的にはより重要な反論部分があっさりしているように感じられたので、次の記事で深堀りしたいと思います。

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ちなみに、私が本の内容からなぜ遺伝的格差に介入すべきなのかという点をピックアップしているだけで、この本にはどのような介入が可能かという話も書いてあります。
例えば、外国において義務教育期間の延長が遺伝的に最も肥満ポリジェニックスコアが高い集団のその後の健康スコアの改善につながったり、ファミリーマネジメントという子供の健全な躾方法を指導するプログラムを導入すると、その指導を受けなかった家庭と比較してアルコール依存症にかかわるポリジェニックスコアが高くてもアルコール依存症になりにくくなる、という結果が報告されています。
つまり、遺伝子によって決められた形質のままにそれぞれが育つ社会と比べて、介入を行う社会は不利な遺伝子を引き当てた人が被る不利益を軽減することができるのです。

問題は遺伝子の不平等を是正することにリソースを割くべきなのかです。