論破という病について、とても共感できる内容で、これまでの倉本さんの発信を分かりやすく整理して結晶化されたものだと思いました。
本の狙いは、油側と水側をイーブンに扱いながら特に水側の人に油側の感覚への理解を促し、寄り添う形での変革を促す点にあると私は理解しました。
その背景には以下があるように思います。
①メイン読者が水側であるという想定
②水側の方がビジネス面で短期的メリットを得やすく変化のインセンティブが働きやすい点
③水側の方が危機感を抱いて行動しているケースが多い点
これを受けて、「行き過ぎた共感力による反発」という理解が、水側・油側の双方に存在する過激派を捉えるうえで有効ではないかと思い、それは水と油を混ぜる過程に応用できそうでしたので、今回まとめてみました。
水側にも油側にも存在する過激派の心理
倉本さんは著書の中で社会問題へのアプローチを飛行機の離陸に例えて、声高に問題を周知する助走フェーズと具体的に解決策に落とし込む離陸フェーズがあると説明されています。
この例えに照らすと、どんなに現状を説明されても助走フェーズで掲げていた理想論を降ろすことができず、離陸フェーズでは障害になる人が水側にも油側にもいます。
彼らは説得で意見を変えることが少なく、反論するにも値しないような陰謀論を持ち出されたりすることもあり、ともすると彼ら抜きで両側の話がわかる人だけで物事を進めるしかないような気にもなります。
しかし、SNSが浸透し人数が少なくても規模としては大きく声を上げることもできるようになった社会において彼らを放置すると、社会の分断を際立たせ連鎖的な社会不安をもたらす可能性が高いことがアメリカや韓国の例からも分かります。
では説得に応じない彼らに対してどうアプローチするかですが、彼らの掲げるロジックを満たすような提案をするのではなく、彼らの心理まで踏み込む必要があるように思います。
ここでいう心理は、ロジックやロジックの元になっている欲求よりもさらに奥のアイデンティティとも言える領域を指して使っています。
旅行の例えになぞらえると、『沖縄に行きたい』と譲らない理由が非日常を味わいたいからでもなく、仕事のストレスが限界で自分の意見が否定されるとパニックになる心理にある場合です。
沖縄に行きたいという最初のロジックを因数分解してそれに対する回答を用意しても、そもそも旅行先の話をしていると思っていると心理まで辿り着くのは難しいです。
現代社会は科学が思考基盤にあるため、ロジカルに正しい意見を採用すべきという暗黙の了解があり、何かを主張するには「公」なロジックがなくてはならないと現代人は思い込んでいる節があります。
そのため、嫌いや不快といった「私」な感情の発信も、ロジックの皮をかぶっていることが多いです。陰謀論のような成立していないロジックでも、彼らには自分の感情を発信してアイデンティティを確立するためにそれが必要なのです。
共感力が引き起こすアイデンティティ危機と防御反応
それでは水側でも油側でも何が感情の暴走を引き起こしているのかですが、現代人、特に日本人においては行き過ぎた共感力がアイデンティティを危機に陥れているように私には思え、そこが希望でもあると感じています。
人間は種の特性として社会性を発達させてきたので、個人差はあるものの誰かを助けることに喜びを感じ、脳の報酬系が働くという傾向があります。
そのため、逆に困っている人を助けられないという状況、また助けないことを社会から非難されることにストレスを感じるようにできています。
特にSNSの発達は現代人に国内外の悲惨なニュースを以前より身近に感じさせ、現代の道徳教育の成果として培われた共感力によって強いストレスが発生し、それが両極端の2パターンの防御反応を引き起こしているように見受けられます。
(1)油側に多い反応:悲惨な状況に陥った人を切り捨てる自己責任論とメリトクラシーへの傾倒
彼らにとって、弱者を助けることができると分かってしまうと、弱者を助けてこなかったという非難が自分に向けられる恐れがあり、あらゆる理論で助けないことを正当化します。
(2)リベラルに多い反応:弱者擁護の皮を被った過激な体制批判
こちら側の防御反応は自然保護やビーガンなどでも現れることがあり、彼らにとって大事なのは自分が弱者のために怒っている立場にいることです。
彼らの目的は弱者の救済ではなくアイデンティティの確立なので、現実的な妥協案に対しても足りないと反対することでアイデンティティをより強固なものにしようとする場合もあります。
どちらも矢印が自分に向かっていて、最終的には弱者が置いて行かれて救われることがないという点で、この両極端は等しく対話の障害になります。
両極端と一緒に前に進むために必要なこと
どのように両極端と向き合うべきかと考えた時、大切なことは彼らの脆弱なロジックに反証を突きつける快感を拒絶し、彼らを冷静でいられなくしている嫌いや不快といった感情にアプローチすることで、その源泉であるアイデンティティを慰めるしかありません。
ロジックを論破することは刃物を振り回している人の手から刃物を叩き落とすようなもので、武器を失ったとしても彼らの中の暴走の原因になった感情は全く変わらず存在しています。
むしろロジカルでなければ意見を発信できないとされる社会でロジックを丸裸にし、感情でしかないと晒し上げることは最大級の恥辱であり、いっそう相手を意固地にしてしまうことすらあります。
ではどのようにアプローチすればよいのかと考えたときに、彼らのアイデンティティの危機をもたらしているものが「人を助けたいのに助けられない状況」であるという私の洞察が正しければ、彼らとは他人の苦しみを無くすことで自分も救われるという方向で一緒に進んでいけるように思うのです。
そのためにできることのひとつとして、我々はまず自分たちのやってきたこと、やれていることに光を当ててみてもいいのではないでしょうか。
例えばニュースでは問題点や悲惨な出来事を殊更に取り上げます。世の中に問題点を提起することはメディアの役割ではありますが、不安を煽るだけ煽って解決策を示さず、私たちは何かしなければなりませんと切迫感だけを受け手に与えるのは公平ではないように思えます。
多少ズレている例えかもしれませんが、プロジェクトメンバーのマネジメントで想像してみます。プロジェクトのフィードバックにおいて、問題点のみを列挙する方法でメンバーのエンゲージメントを向上させることは難しいです。
理想的には、以下のステップが必要に思えます。
①まず、できていることを確認してその人の努力を承認する
②次に、できていることのおかげで助かっている人がいるという感謝を伝える
③その上で目的を再確認し、できていないことの目線合わせをする
④どうしたらできていないことができるようになるかを具体化する
⑤最後に、それをしたら誰がどれくらい助かるか伝えてモチベーションを高める
ビジネスであってもフィードバックにはこれくらいの丁寧さが必要なのですから、逆の立場で、ともすると敵認識されている人に向き合うならなおさらです。
次のステップに進むために
それでは私たちがすでにできていることは何かですが、私たちが日々税金を支払うことで政府は再分配として多くの福祉を実現し、それによって救われている人はたくさんいます。
また海外でも政府の支援によって現地の生活が改善し、両国間の架け橋となるようなプロジェクトが行われてきました。
日本で普通に生活している人は、すでに多くの社会を良くする活動に間接的に参加していると言えるはずです。
政府の活動のポジティブな報道はプロパガンダに加担すると見做されてしまうのか、戦中におけるメディアの在り方から離れようとするあまりに体制を批判することが存在意義だと自己認識してしまった現代の主流メディアは、いいニュースや効果があった政策を取り上げることはほとんどありません。
自分たちの国の政府の至らないところばかりを目にするせいで、自分たちが何もできていないと思わされ、エンゲージメントが過剰に下がっているのではないでしょうか。
両極端のストレスを和らげてお互いが話し合いのテーブルに着くために、いいニュースや感謝にも目を向けることが大事に思えます。
そして自分たちの成果を認識して自己効力感を高めたうえで次のスモールステップを提案し、「こんなことをするとこういう人たちを助けることができるし、負担は許容できる範囲なのではないか」みたいな話し合いができればと夢想します。
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以上をまとめると、
・意固地になっている水と油を混ぜるためには、お互いのロジックの落とし所を探るだけでなく、意固地になる原因の心理に目を向けるといいのではないか。
・その心理は水と油の両極端とも不平等に扱われている人への共感力の暴走と無力感で共通しているのではないか。
・両極端へのアプローチの第一歩はできていることも取り上げて無力感を打ち消すことではないか。
・それができて初めて、小さいけれど確実に「自分は誰かの助けになっている」という実感を与えてくれる第二歩にすすめるのではないか。
という感じです。
追記
もうすぐ選挙の投票日ですが、この考え方に則ると「自分のために何かをしてくれる」という観点で政党を選ぶのではなく「あの政党ならこの困っている人のためになることをやってくれそう」みたいな考え方で投票先を選べると、少し心がすっきりするんじゃないかという気がしています。


