こんにちは。
誰も見てない初投稿なので練習と割り切ってちゃっぴーとのやり取りの内容をブログっぽくしてもらったものを投下します。内容自体適切かどうかはわかりません。

ドクトリンは変わらない。でも、足元は確実に揺らいでいる
――ベネズエラ情勢から考える日本の安全保障

最近のベネズエラ情勢を追っていて、正直なところ、私は強い既視感を覚えました。
アメリカの動きは大胆で、国連決議という枠組みからも距離がある。それでも「まったく新しいことをしている」という印象はありません。
むしろ、「やり方は洗練されたが、考え方はあまり変わっていない」そんな感覚です。
そして、その既視感は、日本にとって決して他人事ではないように思えるのです。

トランプ以降アメリカのドクトリンは、本当に変わったのか

今回のベネズエラへの軍事作戦で、トランプ大統領への批判が多方面で持ち上がっています。トランプの国際社会秩序を軽視するかのような発言に忌避感を覚える人は少なくはないでしょう。とはいえ1980年代以降、アメリカは国連決議がない、あるいは極めて不十分な状態で軍事行動を行ってきました。
パナマ侵攻、コソボ空爆、イラク侵攻、シリアへの限定的な空爆。
個別の事情は違っても、共通しているのは次の点です。
・脅威は国外で処理する
・国連は使えるときには使うが、使えなければ先に動く
・占領はコストが高すぎるため、できるだけ避ける
今回のベネズエラ情勢も、仮に事実関係がすべて明らかになったとして、私は従来のアメリカからの「逸脱」だとは感じていません。
むしろ、占領を伴わない、短時間・限定的・斬首的な圧力行使という、いわば「ポスト・イラク型」の延長線上に見えます。
ドクトリンが変わったというより、世界がそれを許容せざるを得ない段階に入ったという方が近いのかもしれません。

日本にとって本当に厳しいのは、国外よりも国内かもしれない

こうした世界の変化を前にして、日本はどこに立っているのでしょうか。

日本は長く、「法の支配」「国連中心主義」を建前として掲げてきました。これは国際社会での日本の立場を確保するためにも今でも大切な原則だと思います。
ただ、その原則を支える国内の足元は、確実に揺らいでいます。
この数年だけを見ても、日本でははっきりとした政治暴力が起きています。
2022年、奈良市での安倍晋三元首相暗殺事件
2023年、和歌山市での岸田文雄首相への爆発物投擲事件
これらは「未然に防げなかった偶発事故」ではありません。
地方警備体制の限界、属人的判断、情報と現場の断絶といった、日本社会の構造的な弱点が露出した事件だったと感じています。
少子化が進み、一極集中が進む中で、地方行政力や警備能力がじわじわと痩せていく。
その状態で、国家として一貫したドクトリンを維持するのは、簡単なことではありません。

「第七艦隊頼み」から抜けるとは、どういう意味なのか

安全保障の議論になると、「日米同盟をどうするのか」という問いが必ず出てきます。
ただ、ここで言うべきなのは「離れるか、頼るか」ではありません。
問題は、頼り方です。
第七艦隊が来なければ抑止が成立しない。そういう状態は、平時には心強く見えても、有事には脆さを抱えます。
私が現実的だと感じるのは、
①日本と周辺の同志国が、最初の局面を止める
②米軍は、決定打として関与する
という分業構造です。
そのために必要なのは、派手な新兵器よりも、
・分散された基地と補給体制
・対潜・機雷・哨戒といった地味な能力
・指揮統制と情報共有の明確化
といった、「目立たないが効く」積み重ねだと思います。

日本主導の「西太平洋条約機構」は可能なのか

よく言われる「アジア版NATO」を、日本が主導して作れるかと問われると、私は懐疑的です。
自動参戦条項を含む条約は、各国の国内政治的コストがあまりに高い。
ただし「条約はないが、危機になると自動的に連携が立ち上がる」そういう『条約機構のように機能する仕組み』なら、十分に現実的だと思います。
相互アクセス協定、同志国への能力支援、指揮統制の接続、海洋状況把握の共有。
これらを「イベント」ではなく「日常運用」に落とし込めば、条文がなくても機構は動きます。
重要なのは、「中国を排除する」ことを前面に出さないことです。
海の秩序や法執行、抑止を目的に設計すれば、結果的に参加しない国が出る。
その順序が、最も摩擦が少ないと感じます。

台湾海峡有事への抑止になるのか

こうした仕組みが、台湾海峡有事を防げるのか。
正直に言えば、「必ず防げる」と言い切ることはできません。
ただし、
・短期決戦や奇襲の成功確率を下げる
・周辺国を含めた不確実性を高める
・作戦コストを引き上げる
という意味で、確実に抑止にはなります。
抑止とは、相手に「割に合わない」と思わせることだからです。
まとめとして
ベネズエラの話は、遠い国の政変ではありません。
それは、力が再び前面に出る時代に、日本がどう立つのかを考えさせる鏡のような出来事です。
日本に必要なのは、
・法の支配を掲げ続けること
・しかし、それを守るための現実的な筋肉を持つこと
その両立だと思います。
派手なスローガンではなく、地味で、時間のかかる制度設計と運用の積み重ね。
それしか、日本がこの時代を損せずに生き抜く道はないのではないでしょうか。